山の雑記帳
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 山との出合いやときどきの思いを綴りました。


 しんがり       2001.2

   昔から、根性と体力には自信があると思っていたが、中高年の域に近づくにつれ、身体にいろいろ
   な故障が起きてきた。年のせいなのか、あるいは日頃の不摂生からなのかよくわからないが、山登り
   を していても不安を感じることが多くなった。 

   症状はこんな具合である。朝、起き抜けの階段の上り下りで、膝から足首にかけて妙に頼りなさを
   感じる。ときには、足首あたりに軽い痛みを伴うこともある。登山の際はほんの少しでも無理をすると、
   二、三日膝痛がひどい。山スキーでも膝下の疲労がめっきり早くなって、こらえが利かなくなってきた。
   重いザックを背負っていようものなら、悲惨な目に遭う。

      スポーツ医学の本によると、これは初期の「変形性膝関節症」の典型的な症状で、どうやら原因は
   大腿四頭筋の衰えからきているようだ。したがって処方箋は、ひたすら地道に気長に太股の筋肉を鍛
   えるしかない。そんなわけで、この本の教えに倣い、大腿四頭筋を強化する運動療法に取り組もう と
  決意している次第である。

    この先永く山登りを楽しむためには、年相応に無理をせず、が肝要である。
     今年もしんがりの位置をしっかりキープし、マイペースで登ろうと思っている。

 




  
 遙かなる美唄山     2000.4              

   1919年9月、私たちの先達が美唄山探検を行い、登山隊として頂上に
 はじめての足跡を印した。当時は、もちろん林道のない時代。美唄川を遡行
 しての沢詰めルートであったと いう。悠に丸二日要したというから、遠く困難
 な登行であったに違いない。

    それから80年の歳月を経て、悲願ともいうべき美唄ルートが開設された。
 80年という時の隔たりはあっても、美唄山に魅せられた人々の思い、そして
 頂上に至る道のりやその苦労は、今も当時も変わらない。

   登山道づくりは、 当然ながら入念なルート探査と人々の献身的な作業を
 伴う。 宮西会長(美唄山岳会) の熱い思いと、  400名を越える多くのボラン
 ティアがそれを可能にした。

     振り返って、 一昨年以来、数度のルート探査では、密生する根曲がり竹を漕いでは何度も行く手を
  阻まれ、 まさに気の遠くなるような「難行苦行」を体験した。 そして、6月19日、20日の開設作業で
  は、 前線部隊も、炊き出し、救援などの後方支援も、参加したすべての人々の力が一つになり、見事
  に変化に富んだ登山道が完成した。 お披露目の山開きに参加された方々から、「すばらしい登山道が
  できましたね」といったねぎらいの言葉をたくさん頂戴し、苦労の甲斐があったというものである。

     私たちは、少し大げさにすぎるかもしれないが、美唄の歴史に残る20世紀最後の大事業に立ち会っ
 たといっても過言ではない。
    この歴史的な「世紀の大事業」に関わったひとりとして、この山と登山道を大切に守り、 豊かな自然
 環境を後世にに引き継いでいなければと思う。
    美唄山は、今も奥深い、遙かな山である。